震災から2ヶ月以上経ちました。
復旧の兆しは見えますし、復興に向けて前に進んでいるようですが、その進み具合はカタツムリの歩みよりなお遅い歩みです。
それでも「なんとかせねば」と歯を食いしばって戦っているようです。
中には行政は当てにならぬとばかりに、それぞれの地域で立ち上がろうとしている方々もいらっしゃいます。
先日仙台で会議があり、その会議に出席なさった方の中に3月11日はミュンヘンだかモントリオールだか(オリンピックやったトコ)に行ってた方がおられました。
滞在中、テレビでは日本の津波・震災の様子をずっと流していたそうです。それ以外の自国内のニュースや諸外国のニュースはテロップで流す程度。あとはずっと日本の災害の様子ばかり放映していたとのこと。
それも日本国内ではカットしたり、ぼかしたりする映像もそのまま流していたそうです。
人々が流されていく様子など、目を覆うような光景をです。
その方が言うには「あれでは日本全土が壊滅状態になったように受け止められるし、日本全土が放射能に汚染されていると思われてもしようがない」と話しておりました。
数え切れないほど訪れた南三陸~気仙沼の今を見たいと思い、4月下旬に娘と行ってきました。
山を越え長い坂を降りていくと急に異様な光景が目に飛び込んできました。
確かにテレビでは何度も目にしておりましたが、実際に見ると言葉にできないものです。涙が流れ、言葉も出ず、ただ車を走らせました。どこがどこだかさっぱりわかりません。記憶にある建物は2つばかりありましたので、それで「ああ、間違いなく南三陸町だ」と確認することができました。4階建て、5階建てのビルは骨組みしか残っておらず、屋上にはブイが乗っており、網が下がっておりました。橋は流されたため、組み立て式の橋が自衛隊の方々の手で架けられておりましたので、ゆっくりと渡らせていただきました。見慣れたはずの町でしたが、標識も信号も目印になる建物もない状態ですから、ミスコースもしました。大きい町ではありませんので、ミスコースしてもさほど問題はありませんでしたが。
その後、南三陸町から北上して歌津と言うところに行きました。
以前は南三陸町と言う地名ではなく、志津川と言う町と歌津と言う町がありましたが、合併後、南三陸町となりました。
先ほどミスコースしたところが志津川町になり、北上して歌津に入りました。
歌津には歌津大橋と言う立派な橋が架かっておりましたが、津波で流されたため山を大きく迂回しないと北上できませんでした。山の中を迂回しているのですが、こんなところまで津波が押し寄せたのかと思うほど、入り組んだ奥まで爪あとが見られました。
また、ある場所では何もありませんでした。瓦礫すらありません。一面の泥と、巨木がわずかな根をつけた状態で横倒しになっているたけ。たしかにそこには集落があったはずでした。きれいな砂浜も漁港も商店もあったはずでした。
瓦礫の山と化したところより、むしろこちらの方がショックを受けました。
歌津を過ぎ、やっと気仙沼市に入りました。
確かに瓦礫もありましたが、それ以上に驚いたのが臭いでした。
自動車の窓は締め切っているのに、臭いがすると思い窓を開けましたら、いいようのない臭いが街中に充満しておりました。
魚の腐った臭い、重油の臭い等等・・・・・
すごい光景を見てきたのですが、上手く表現できません。
ボイランティアで行った人たちから「テレビで見るのとはまるで違う。言葉が出ない」と聞いておりましたが、本当に出ませんでした。
でもいつか人の力で元に戻すのでしょうね。
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