「学校がいやだ、嫌だ」と言っていた娘も3月9日、おかげさまで中学校を卒業することができました。公立中学校は何かと問題を起こし校内も荒れておりますが、娘の「嫌だ嫌だ」はクラス内にあったようで、兄のときの『明確な「嫌だ嫌だ」』とは少々違っておりました。(兄の場合は学年全体が大いに荒れていたので何が嫌なのかはよくわかっておりました)ですから、嫌な部分を避けて通るということや見なかったことにするということや近づかないということもできなかったわけでして、3年生のときには「疲れた。嫌だ。」を聞かない日はなく、また毎日のように栄養ドリンクを飲んでいました。
また、卒業近くになると1日だけバイキング給食というものがあるのですが、友人となにやらトラブルがあったらしく前の晩、「もう限界だ。明日、学校は行きたくない」と言い出しました。私も無理に登校させる気にはなれず、次の日の朝、学校へ休む旨のことを学校に連絡しました。ちゃんと連絡したはずなのに、11時ころ職場に担任から「子モスラちゃん、まだ登校してないのですが」と電話が入りました。
「え“――――。今朝、学校には連絡しておりましたが」と。
しかし担任の耳には入っておりませんでした。と、言いますのも娘のクラスには登校拒否の生徒が4人ほどおります。担任としてみればどの子にもせめて今日のバイキング給食は食べさせたいと思ったようで、朝から拒否の子供たちの自宅やら「登校拒否の子供たちだけが通う特別学級」などを回って、学校へ連れてきていたようなので娘の欠席についてはその時点で連絡は受けていなかったようなのです。
そして私からトラブル等の話しを聞いた担任は「これから子モスラちゃんを迎えに行きます」と言い、やはり娘を迎えに行ってくれたようでした。
子モスラが言うには何度もピンポンが鳴り、次にはドアがドンドンと叩かれ、そーっと出てみると担任で「さあ、給食、食べに行くよ」とうむを言わさず連れていかれたそうです。母としてみればとてもありがたいことでした。

いよいよ卒業式当日、早く行って保護者席の一番前に座ろうと思い、私は少々早めに家を出ました。しかしクラスのPTA委員長が気を利かせてくれていて、役員全員分の席を一番舞前に確保しておいてくれました。父兄の前には在校生が、そして卒業生はその前に座るものですから一番前でもあまりよく見えません。端と端にスクリーンを掲げ、壇上におかれたビデオデッキから流れる画像をそれに映し出し、子供たちが卒業証書をもらう姿だけは見ることができました・・・・しかし、あちらのスクリーンはよく見えるのですが、こちらのスクリーンはすぐに消えてしまい、結構イライラさせられました。おまけに娘のときも消えておりましたので、卒業証書授与はみられませんでした。(クソ)
また、在校生(2年生)の中には当然ながら阿呆が何人かおりますので、そちらの方が気になって気になって。
んが、阿呆が何人いようが式は順調に進み、いよいよ『答辞』を迎えます。答辞の途中、代表者が「ここで全員で歌います」というと、卒業式の定番中に定番である「旅立ちの日に」が流れます。
このときになってやっと私の目からどちらかといえば小粒の涙が流れ出てきました。


※白い光の中に   山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも   君は飛び立つ
限りなく青い空に   心ふるわせ
自由を駆ける鳥よ   ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり
このひろい大空に夢をたくして


何度聞いても良い歌ですね。
埼玉の私立高校の校長先生と同じ高校の音楽の先生が生徒のために作った歌だとか。

卒業式の次の日、高校の制服を注文しに行ってきました。
また、17日、携帯デビューをさせました。
でもいつも電源は切っています。「どうせ、メール、来ないもん」

高校に行ったら「嫌だ嫌だ」の連発はどうぞやめてください。
その高校はあなたが自ら選んだ高校ですから・・・
2007/03/21(水) 16:52 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

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