平成23年3月9日、昼少し前、私は公用車で移動していました。風のある日でした。
私の前にはデイサービスの送迎用ワゴン車が走っています。その車が道路脇にゆっくり停車します。私は「何で人家のない場所で止まるんだ?」と不思議に思いながら、そのワゴン車の脇を抜けていきました。その少し前、運転する車が若干センターライン側によって行き、ハンドルもちょっと重い感じになりましたので、「風で車が流されたか」と思っておりました。
隣町の支所に到着したとたん、「モスラさん、地震大丈夫でしたか?ずいぶん大きかったですよね」
『あ、ワゴン車が急に止まったのはそのせいだったのね?気付かなかった・・・』
事務所に戻ると利用者宅にいた相方が「すごい揺れた。怖かった。」と話しています。
その利用者宅は確かに【丈夫ではなさそうなおうち】でしたので、さぞ怖かったことだろうと思いました。相方は私に「あの地震を感じなかったモスラさんは幸せだ。」とのこと。この時は震度5弱でした。
その2日後、平成23年3月11日14時46分 私は町の保健センターで開かれたケア会議に出席していました。
1人暮らしの知的障害の女性が、4月からケアホームに入所することになり、今後の支援の方向性等を決めておりました。
ケアホームとは日中活動(仕事)をしている精神障害者・知的障害者の方で、地域において自立した日常生活を営む上で、食事や入浴等の介護や日常生活上の支援を必要とし、障害程度区分2以上である方に対して介護・支援を実施する施設です。
ケア会議が始まって1時間ほど過ぎた頃、結構な強さの揺れが始まりました。主役である知的障害の女性は地震が大変苦手で、2日前の地震があった日は心細いということでグループホームに特別非難をしていました。そこでわたしはじめ数人(女性だけ)が彼女をかばうように団子状態になり、揺れがおさまるのを待っていました。そして揺れは若干小さくなりこのままおさまるかと思われた瞬間、経験したことのないような揺れが襲ってきました。あちこちでガラスが割れる音、食器が落ちる音がする中で彼女の悲鳴が演出になり恐怖をあおってくれていました。「やだー、怖い、怖い、おかあさーん!助けておかあさーん。」
(彼女のおかあさんは昨年8月に亡くなっております)
会議に出席したいた男性3人のうち1人はテーブルの下に潜り込み、もう1人はすばやく外に出て、あとの1人は福祉事務所の生活保護担当だったと思いますが、その辺にいたような気がします。
これまで経験したことがないほど強く長い揺れが続きましたが、やっとおさまりました。
地震が始まる前にはだいたいのことが決められておりましたので、ケアマネージャーやケアホームの責任者にいくつか確認したのち、私は職場に戻ることにしました。
建物から出て車に乗る間にも容赦なく余震は襲ってきますし、車を動かしてからも大きな揺れがあり、道路脇に車を寄せて揺れがおさまるのを待ちました。
反対車線を見ると見知らぬ中年女性が同じように車を道路脇に止めており、思わず目を合わせると目と目で「大変なことだわ、怖いわね。」と語っております。揺れがおさまるとどちらからともなく、「それじゃあ、お互いに気をつけて。」と目と口パクで挨拶をして車を発進させました。
ようやく職場に就くと相方が「この間の私の気持ちがわかっただろう」と言っております。
部屋は暗い。電気ついてないんですね。寒いのに暖房がない。送電止まったし(滅)
被害は大変なものらしく、局長から職員全員一旦自宅へ戻り「確認してこい。」とのことでしたから、帰ることにしました。
私がまっさきに浮かんだことは「りくそんのガラスケース、こなごなになっているな・・・掃除、大変だろうな」でした。
自宅へ帰る道路はあちこちひび割れ、段差ができており、若干の渋滞が出来ておりました。また、電柱は傾き、電線は垂れ下がり、無事自宅へ戻ることができるのか不安でした。
自宅へ戻ると、りくそんのガラスケースは無事でしたが、別の食器棚が倒れており、あたりには砕けた食器が散乱しております。朝、しっかり閉めていったサッシ戸は錠が外れ開いており、よくぞりくそんが逃げなかったと安心しました・・・が、他を見るとげんなりしてしまいました。呆然としていたとき、息子が帰ってきましたので、まず食器棚を外へ運び出し、スリッパを履き、片付けを始めました。娘も帰ってきましたので、すぐに言いつけました。「コンビニに行って、何でもいいから食べるもの、買っておいで。パニックになる。」
・・・To be continued
COMMENT FORM