続き・・・

雪が降りしきる中、娘が買ってきたのは350ml入りペットボトルのジュース数本といくつかのゼリーやチョコレート、ケーキ等でした。カップラーメンやインスタントラーメン、パンはすでに完売しており、主食になるものはほとんどなかったとのこと。それでも「あっただけマシ」だと思いました。
また、停電なのでファンヒーターが使えないため、物置から10年前に子供たちに焼き芋を作るためだけに購入していた石油ストーブを出しました。10年も使っていなかったので、点火するかどうか不安でしたが点きました。点き始めは結構臭かったですが^^;
また、すぐラヂオを点けましたが、そのチャンネルはどこかのテレビ番組をそのまま流しておりましたので「ご覧下さい。津波が仙台空港に押し寄せてきております。」と話していますが、私は観ることができずまわりでどのようなことが起こっているのか全くわかりません。
自宅に戻る途中、道は陥没し電柱は傾き、電線は垂れ下がり通行できない状態になっていますが、それ以外のところに関しては現時点では知る術がありません。
ちなみに電話もかけられません。

さらっと片付けると私は再び職場へ戻り、あとのことは息子と娘に頼みました。
職場へ戻る途中、信号は全て消えているので、渋滞が起きており、私は大きく迂回し、田んぼの中を走るじゃり路を進みました。
職場に戻るとすぐに「災害ボランティアセンター」を立ち上げると言うことで、いつニーズが来てもいいように準備が始まりました。準備を終え、自宅への帰路に就きましたが、途中開いているコンビニがあり、すぐに入りました。店の中は真っ暗でしたが、道路沿いですから、走る車のライトで幾分灯りはありました。その中で「何か・・・」と探しました。ラッキーなことに惣菜が入荷したところでしたので、幾つかのサンドイッチと2つのおにぎりをゲット!し、レジへ並びました。カップラーメンも1個本来の場所とは違うところにあったので、買われないですんだようで、1個ゲット。停電しているため、レジは電卓で計算しているため、入店してからレジ通過まで1時間ほどかかったでしょうか。
並んでいるとき、パニック映画を観ているような気になりました。直面しているのに他人事のような感じになっていました。

自宅へ戻るとやはり真っ暗でしたが、息子がインスタントラーメンを作っておりましたので、出来上がるまで私は記憶を頼りに蝋燭と懐中電灯を探し、何とか見つけることが出来ました。余震は相変わらず続き、大きな余震が来るたびにストーブを消し、ラヂオを聞きながら、息子の作った具のないラーメンを食べました。
暖かくておいしかったです。また、ストーブもそれなりにずっとつけていると暖かくなるもので、意外と役に立ちました。
蝋燭の灯りで寝るスペースを作ります。停電なので掃除機が使えず食器の破片を取ることはできないため、大きいものだけを手で取り除いたあと、こたつの敷き布団を上からかぶせて万が一踏んでも怪我しないようにしておきました。幸いなことに破片は部屋中にあるわけではなかったので、一箇所は布団を、もう一箇所は座布団を2枚敷いておきました。

水は出ない、電気は出ない。使えるのはガスだけ。でもガスが出るたけありがたかった。非常用の水があるので、何かしら暖かいものが食べられますから。米もあるし。
ラヂオではライフラインの復旧はいつになるかわからないと言っております。
何もすることがないので、7時半ころには横になりました。ただ狭いので、足を伸ばすことはできません。
いつもなら、子供たちは2階にいるのですが、この日は下でわずかに作ったスペースに私と息子、普段、私が寝ている場所に娘が布団や毛布に包まるようにして、横になりました。

そうそう、我が家にはもう1匹、家族がおりました。私が帰ったとき、リクソンのガラスケースの中にはくしゃくしゃにされた新聞紙がたくさん入っており、少しでも寒さをしのげるようにと息子が突っ込んでいたようでした。
もちろん小さいながらストーブは点けておりますが、大きい余震がくれば危ないですから消さねばなりませんが、彼のことを考えれば消すわけにはいきません。
ですから、ストーブは点けて、余震がくれば消して、おさまったら点けて・・・・・
一晩中しておりました。
・・・to be continued
2011/03/26(土) 15:39 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)

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